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軍艦島ツアー


 

仕入れの契約でスタッフ数名で研修もかねて長崎の軍艦島へ行ってきました。

日本で最初の鉄筋高層アパート(大正5年建築)。基礎部分が崩れいつ崩壊してもおかしくない建物が立ち並んでます。

周囲わずか1.2㎞の島に最盛期の1960年には約5300人が暮らしてたらしい。当時の東京の人口密度の9倍で世界一の人口密度を誇っていたといわれる。

廃墟マニアにはたまらない異様な廃墟美を眺めることができます。以前は上陸できなかったけど5年ほど前から上陸出来るようになりました。ただ崩壊の恐れがある建物ばかりなのであまり奥には入ることできないです。恥ずかしながら今回長崎に来るまで存在すら僕はしりませんでした。

 

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船から見ると軍艦に見えます。

圧巻の廃墟の姿でした。世界遺産登録を目指しているので今のうちに見たほうが良いかもです。

ちなみに船すごい揺れますので苦手な人は酔い止めを飲んでいったほうがいいですよ。

 

「軍艦島」とは、長崎港から南西約19kmの海上に浮かぶ孤島「端島」の通称である。        

1890年(明治23年)から三菱の経営によって主として八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた海底炭坑の島である。

当初、この島は、草木のない水成岩の瀬にすぎなかったが、採掘技術の発達とともに、島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張を繰り返し、今日の島の形状となった。

炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916年(大正5年)以降高層鉄筋アパートが、次々に建設された。

最盛期5,000人を超える人口を擁した高層鉄筋アパートが島内に林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。

昭和30年代後半から、エネルギー改革の嵐を受け合理化が進み、1974年(昭和49年)1月15日閉山、同年4月20日に無人島となった。